【古着屋の歴史】

1. 戦前
 衣食住の1つでもある衣料品のリユースである古着の歴史は古くからあります。室町時代には絵画に古着屋が登場しており、古来は原料の生産も限られ、布にするまでに多くの労力と時間が掛かったことから「ぼろぼろ」になるまで利用されてきました。古着を「ボロ」とも呼ぶのはその名残です。
 古着としての利用価値のなくなったものでも、青森の「南部裂織」に代表されるように裂いて織り、再利用されてきました。
 高価な着物は質入にも供されました。 それだけ衣類には価値があった時代が長く続いたのです。

2. 戦後
 戦後の物不足時代にはアメリカなどから大量の古着が輸入され、上野、浅草界隈で売られていました。軍の払い下げと一緒に、背広、シャツ、ズボン等が販売されていました。

3. 昭和後期
 昭和50年代に入り古着の商売も変革期を迎えます。それまでは全て実需に基づく古着販売が主でしたが、ファッションとしての側面を持つようになります。音楽好きな一部の人々や、ヒッピー等に興味を持つ人々がファッション的価値観から当時新品では見つけられなかったアメリカ・スタイルを古着に求めるようになりました。当時高感度な人が集まりだした原宿に数軒の「古着屋」が出現しました。
 その後バブル時代を迎え、ビンテージ・ブームが到来します。 実需-ファション-骨董価値とその用途は変遷しますが、150年前のビンテージ・デニム・パンツに当時200万円の値札が付くまでになりました。

4. 平成
 ビンテージ・ブーム後はそれまでの「誰が着たか判らない」という古着が、おしゃれな古着として市民権を得るに至ります。今まで新品しか作らなかったメーカーまでもが「ビンテージ加工」との触れ込みで、わざと古着のような加工をした商品を作るようになり、過去には販売見込のなかった古着の子供服専門店までも出現しました。そして平成に入りそれまでの個人営業の小型店舗主体から、企業化された大型店舗が出現します。

5. 現在
 循環型社会の到来が叫ばれ、社会に古着に対する拒否反応が大きく減少しはじめました。その為、全国に古着屋が数多く出現し、その数は3,000軒とも言われるまでになりました。リサイクルショップ型の古着屋も出現し、フランチャイズ方式による出店も珍しいものではなくなってきています。